2016/06/14

子供のころに


面白い本を読んだ。
その感想を他の人も書いていた。
これを子供のころに読んでいたら良かったのに
と書いてあった。
もう二度と戻れないあの頃を想うと
なぜだか涙が出てきた。

子供のころにこの本を読んでいたら
自分の人生や価値観は
なにか変わっていただろうか。

それが分からなくてまた泣けた。


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2016/06/05

エドガー= アラン= ポー「 黒猫、黄金虫」

江戸川乱歩なら知ってるけどそのペンネームの元になったエドガー=アラン=ポーを私はこの年になるまで知りませんでした。
エドガー=アラン=ポーは今から170年ほど前の人です。
現代の推理小説の形式のほとんどを作ったので推理小説の父とも言われています。
日本は幕末の時代で東海道中膝栗毛や南総里見発見伝などが読まれていました。

この21世紀版少年少女世界文学館には五編の短編が書かれています。
どれもこれも怖かったです。
中でも一番面白かったのは黄金虫です。

内容
アメリカのサリバン島が舞台。登場人物は私と世捨て人のルグランとめしつかいの黒人ジュピター。
ルグランにそそのかされ、私とジュピターはあなほりにでかける。ジュピターに高い木に登らせしゃれこうべを
見つけ、その片方の目からロープに結んだ重りとなる黄金虫を下ろし穴を掘った。

掘っても掘ってもなにも出て来ないなかルグランの殺気だった興奮した様子に私とジュピターも
これは宝かなにかが本当に出てくるかも知れないと気持ちが変化する。
すると2体のしゃれこうべと大きなおおびつが出てきて中を開けると~

一夜にして大金持ちになった3人だがどうやってこの宝を探し出すことができたのか?
ここからがポーの腕のみせどころ。

その昔キャプテン キッド(本名ウィリアム キッド1645~1701)海賊の首領になり1699年に逮捕され
二年後に処刑された。
その後キッドが奪った宝がニューヨーク付近の海岸や他の土地に埋められいるという噂が長い間信じられていた。

ルグランは海岸で黄金虫を見つけた。その横に羊皮紙とボートがあるのを発見した。
羊皮紙を熱であぶりそこに暗号が記されているのを偶然発見し暗号を解明した。

〜主教の旅館悪魔の椅子でよきめがね
21度13分ー北東微北ー中心の幹第七枝東がわ
しゃれこうべの左目より射る
木より弾丸を通って15メートル外へビーライン〜

この暗号読み込むうちにだんだんと詩にみえてくる。
ルグランはなぜこの二人に宝探しに行くぞ!と言わなかったのだろう?
それはきっと自分の推理に口を挟まれたくなかったからではないだろうか?
また宝の山を掘り出せるかどうか自分でも分からないのに大の大人に苦労させるだから
始めから期待させないほうがいいと思ったのではないだろうか?

最初ジュピターがしゃれこうべの目からロープを下ろしたのは左目ではなく右目だった。
挿し絵には右目からロープが垂らされれいたのであれ???と思ったのだかやはり
正解。
いくら掘ってもなにも出てこないのでルグランは気づいた!
このやろう!いまいましい悪党め!さあ、いえ!
ぐずぐずごまかさずに今すぐ答えるんだ!
どちらがお前の左目だ?

これでジュピターが間違えていたことがわかり、もう一度やり直して穴を掘る位置を
確認し宝のありかを押さえたのだ。
このときのルグランの怒りが尋常ではなく切羽詰まっていてというか実に面白かった。
手伝ってもらっているのにこの口の聞き方はないんじゃないかと思ったが、、、

この土を掘ると大判小判がザックザックなんて夢物語だろう。
しかし私はこの様な宝探し物語を小説で読んだのは初めてだ。
アニメや映画なら見たことあるけれど。
しかし、ルグランの良いところは3人できっちり山分けにしたとこだろう。
しかし、しかしだ、この3人のその後の生活の変化に何一つ言及していないところが気になってしまうのだが
この話は暗号を解き宝を見つけるまでの話であってこれ以上のことを望んでしまう読者はもっと欲深いのかもしれない。


ポーは1809年にアメリカのボストンで生まれ幼い頃に両親が亡くなり養子に出される。
ポーは傲慢で、人との付き合いが苦手、酒に溺れ、うつ病にもなった。
生活の乱れの中短編と詩集を発表したが生活は非常に苦しかった。
阿片にさえ手を出してしまい、異常な精神情態のなか幻と暗い影の恍惚とした世界を描いた。
1849年酒場の前で倒れ2日後に死亡した。

ポーの作品を読んで思う。
事件を起こしてしまう主人公は世捨て人だとか、酒に溺れた男とか、かなり
読んでいて痛い人が出てくる。
ポー自信を少なくとも反映させていたのではないだろうかと。

しかし、ポーの考える恐ろしい事件は表面上はかなり怖いがその謎を解くのは人間の理性。
分析と推理で難事件をも解いていく。
ここに推理、ミステリーの父とも元祖とも言われる現代の推理小説の形式のほとんどをつくった。
ポー、面白かった。
普段このての小説はあまり読まないが意外な犯人などほんとに上手くできていた。
他の作品や詩も読みたい。
2016/05/29

へルマンヘッセ 「アウグストゥス」


〜孤独感と空虚で愛の痕跡など1つも見つからない人生〜

もしこんな人生を歩かされたらあなたはどうしますか?




へルマンヘッセと言えば車輪の下が有名ですがまだ学生の頃だったかに読んでみようと買ったのはいいけれど
最初の数ページで何度もリタイアし結局は読まなかった本でした。
先日図書館でヘッセの短編集を見つけ読んでみました。
とても読みやすいのですが、緻密な描写に手のこんだ刺繍の上をなぞっているような感覚になりました。

その一篇にアウグストゥスというお話がありました。
内容
若い未亡人は身ごもっていた。隣人の老人は少し変わっていた。互いにお隣同士支えあっていた。
老人は生まれてきた男のこにアウグストゥスと名付けた。
そして老人はこの子に1つ願い事をかけなさい。その願いをかなえようと言った。
母親は誰もがこの子を愛さずにはいられないように願うわと言った。
しかしこの魔法は逆に呪いとなってしまった。アウグストゥスには沢山のスポンサーや愛人、恋人ができた。彼は美しかった。
その美しさに魅了され人生を台無しにされた女も沢山いた。
彼は人を心から愛することを知らない人生を送り、そのうちに母親は亡くなる。
彼は孤独感、空虚で荒れ果てた情態で愛の痕跡など何一つ見つからない人生に嫌気が差し服毒自殺を図ろうとした瞬間にあの老人が現れる。
今度はお前の願いを1つ叶えてやろう。という。
アウグストゥスは僕のためにならなかった魔法を取り払い人を愛せるようにしてください。
と頼んだ。

今まで利用した全てのひとが押し掛けかれを刑務所に送ってしまった。
刑務所から出たアウグストゥスはもう以前の美しい姿はなくなっていた。
ものごいをしながら生活をする彼は世の中の人々を観察した。
そして子供のためにドアを開けてあげ、身体の不自由な人に手を差しのべ、誰にでも挨拶をした。
彼は気づいた。
傲慢な暮らしの中にありながらも窒息しそうなほどの空虚感と孤独はきれいに消え失せ全ての人が愛するべき存在であると。
学校へ向かう子供たちの歓声、病人のために馬車を走らせる医者の姿。
この世は十分に素晴らしく愛すべき場所だと。

老人になったアウグストゥスは昔母親と住んでいた家にたどり着く。隣人のあの魔法使いは驚くほど変わった様子がなく生きていた。
アウグストゥスは昔子供だった頃にそうしたように、暖炉の前に座り老人のひざに寄りかかり、きらびやかな不思議な
音楽にあわせて舞う天使たちを見上げて最後の眠りにつく。
アウグストゥスはいう。
僕は今日も悪さをしてお母さんを泣かしてしまったの。お願いだからお母さんに話して僕がまたおりこうになるって言って欲しいんだ。
そうしてくれる?
老人はいう。ああ、そうするさ、大丈夫。お母さんはお前を愛しているから。



このお話を読んですぐに気づく。これはフアンタジーなんだと。
老人の魔法はいいほうに効かなく一人の少年の人生を人を愛することのできない不幸なものにしてしまったが
私ならその事実に気づいた時点で母にもこの魔法使いにも怒鳴りかかると思うのです。
私の人生どうしてくれたんだ!と。
しかしアウグストゥスはすべてを受け入れています。
ここには母親とこの魔法使いを愛していたという事実があったからではないでしょうか?
人を愛することのできない人生だったとは言い切れないのではないかと思うのです。
彼の人間性はあまり細かく書かれていませんが本当は我慢強く、利口な人だったのではないかと。
だから魔法使いももう一度彼の望む願いを叶えてやろうと彼の前に現れたのだと思うのです。
彼の母親も魔法使いも彼を心から愛していたのにそれが裏目に出てしまいましたが、どんな魔法をかけても
結局は逆効果になったのではないでしょうか?
お金に恵まれますように。
食べ物に困りませんように。
賢い知恵を授かりますように。
こんな願いごとは全ては逆の作用をも呼び込んでしまう。
皮肉ですがそんなおちがあるのが事実だと思います。

アウグストゥスが生まれて、自立し、また家にたどり着いて最期を迎えるまでの長い長い人生を私も一緒に旅したような気分にさせて
くれるそんなお話でした。
そしてあの少し変わった魔法使いの老人は今でもひっそりと暮らしていて、また隣に誰かが越して来るのを待ちわびているのではないかしらと思うのです。



2016/05/17

憧れの山下清展



二年前隣県で行われていた山下清展に一人でいこうかしら?と思ったほど行きたかった展覧会がここ広島で開催されると
きき行ってきました。(1週間前に知った(-_-;)
最終日を含め3回行きましたが連日大盛況でした。やはりテレビドラマの影響でしょうか?大勢の人でした。
年配のかたが多かったです。

作品は清画伯の学園のころの初期の貼り絵から放浪をしながら作成した作品、画家になり海外でのスケッチをもとにした作品、
油絵、水彩画、陶器、ペン画など150点の作品を見ることができます。
なかなか見ごたえのある素晴らしい展覧会でした。

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そしてなにより感動したのは画伯のドキュメンタリービデオが放映されていたことです。
しかもカラーで画伯の声もちゃんと聴けます。けっこう高い声だったのですね。
花火の貼り絵を作っていました。
弟さんが助手を務め、画伯が「この花火はなに色がいいかな?白じゃあおかしいかな?花火だもんな」
と言っているところが興味深かったです。

画伯が動いている!しゃべっている!貼り絵を作っている!

ナレーションでも言っていました。
「清君の美しいものを探検する心は少しも傷つくことなく生きつづけています。」
この言葉が画伯のすべてを代弁しているとおもいました。
メデイアに取り上げられ放浪に出て、物乞いや労働をしたり時には暴力をうけたり警察に窃盗を疑われたりもしたそうです。
放浪にでたのは徴兵を逃れるためだったともいわれていますが、本心はどうだったのでしょうか?
清にしかわかりませんね。
でも放浪を繰り返し清の目に写った景色を清の手で紡ぎ出された作品をこの目で見れて幸せです。
49歳で亡くなった清。
晩年に作成していた東海道中の旅の絵は未完成のままになってしまいました。
一番の無念はそれを商品化しようとした人ではなく清自身ではなかったのではないでしょうか?

清はゴッホの絵に深く影響をうけていたそうで、ゴッホのお墓も訪れたそうです。
日本のゴッホと呼ばれた山下清。
清は言います。
「生きているうちに評価を得た自分と、死んでから評価を得たゴッホ。どちらが幸せかな・・・
やっぱり生きているうちのほうがいいなあ。」

画伯、亡くなってからもこうしてあなたの絵を愛し、尊敬していますよ~。
永遠の少年、山下清さまへ。



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グッズもたくさん買いました。画集、はがき、複製画、湯飲み、クリアファイル・・・
宝物です。
2016/05/11

裸の大将 山下清

以前書いた画家の山下清についてのブログです。
憧れの山下清展がここ広島のデパートで開催されています。
今日が最終日なのです。

その以前かいたブログをのせます。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



野に咲く花のように
風に吹かれて~♪

ダカーポの歌「野に咲く花のように」です。

ドラマ裸の大将放浪記の主題歌です。

あのドラマが大好きで、俳優の芦屋雁之介さんの演技を楽しく観ていました。

今はドランクドラゴンの塚地さんに交代し
若い方もご存じの方は多いのではないでしょうか。

半ズボンにリュックを背負い全国を放浪する山下清。

ドラマも好きでしたが彼が描いた絵や貼り絵に興味があって
前に住んでいた所の図書館で本を探したのですがなくて、やっとこの前見つけました。

三才のとき消化不良をおこし一命をとりとめたものの後遺症が残り知的障害と言語障害になってしまいます。
それが原因で周りの子供たちから執拗ないじめを受けていたそうです。

特殊学校の八幡学園に入り、そこで出会った貼り絵が清の人生を変えました。

どんどん上達し他の生徒とは明らかに違う才能が開花していきます。

しかし清は自由を求め放浪の旅へ出てしまいます。

頼る人もいなく、食料や衣料は物乞いをする生活。

時には働くこともありましたがなかなか長続きしません。

全国を放浪しながらたまに思い出したように八幡学園に帰ります。

そして放浪で見た景色を思い出し貼り絵を創作します。

清は外でスケッチをすることは滅多になかったそうですが、物乞いをする代わりに求められたら絵を描いていたそうです。

そしてまた八幡学園を脱走し、放浪を繰り返します。

しかし道路も交通も発達していない時代によく日本全国を歩いて回ったものだと感心します。
(やむを得ないときだけ電車や船を使っていた)

時には物乞いをして顔がわからないぐらい殴られることもあったそうです。

そこまでしてなぜ放浪を止めなかったのでしょうか?

そこには孤独と自由を愛す清の精神が見えます。

そして清は貼り絵のほかにも水彩画、油絵、版画、陶器の絵付けなどもしています。

たぶん周りから勧められたのかもしれませんね。

しかし清の絵は見るほどに不思議です。

見たままを描いている、、、だからどこか冷たいような無機質のような感覚がするのです。

人間も登場しますが真正面か横からのタッチか殆どで表情も乏しいのです。

景色と人間のアンバランスがどこかおかしさを運んでまたまた不思議なのです。

戦争の真っ只中、東京の空襲の後を描いた絵もありますが、建物も人間も焼け焦げて黒色で表現されています。

数枚の戦争の絵を見て気分が沈んで、一度本を閉じてしまいました。

まるで写真を見た感じのその絵たち。

清はどんな感情でこの悲惨な景色の中を歩いていたのでしょうか。


清は人を感動させようだとか、有名になろうだとかそういう気持ちで絵を製作していたのではないそうです。

ただ仕事としてこなしていたそうです。

八幡学園でも他の子供たちは外で作業をしたり物を作ったりしていた中で清はこの張り絵を自分のノルマとしてこなしていたそうです。

それは清にとって一番楽な作業であっただけでした。


清の見たままを描く。

なんの邪気もないその絵は他の人には真似できない光を放っています。

一躍有名になった清。しかし放浪癖はなおらなかったみたいです。

晩年、東海五十三次の旅をします。

そこで描かれた巣描はとうとう貼り絵にはならないまま終了してしまいました。

「今年はどこの花火を見に行こうか…」そうつぶやき脳出血で倒れ家族に見守られて生涯を終えました。



私は新潟生まれ、新潟育ちなのでやはり清の「長岡の花火」の点描が大好きです。

この貼り絵を見るとなんとも言えない気持ちをもらいます。

一度でいいから裸の放浪画家、山下清の展覧会をこの目で見たいです。

見たままを緻密に描く点描の天才山下清は1971年に49才の若さでこの世を去りました。






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(1993/06)
池田 満寿夫、式場 俊三 他

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